古希を迎えるにあたって
嬉しい孫からのメッセージ。かと思いきや、実は僕はこの子のじいさんではないのです。
このこの商売32年も続けていると当時赤ん坊だった子が、「おじさん、子供が生まれました。」と言って訪ねてくれる。飛ぶように入ってきて「おじさ~ン!おじさ~ン!!」と僕を探し回る幼子がいる。去年僕が倒れた時もお見舞いの絵付きメッセージを届けてくれた子がいる。
この名画も実の孫の絵ではないのです。この商売に行きついて良かったなあとつくづく思うのです。ジェラートってやつは老若男女、国籍も宗教もイデオロギーも一切関係なく、だれもが好きになれる食べ物なのです。こんな片田舎の交通の便もよくない小店にたくさんのお客が訪ねてくださる。
今年の暮れには夫婦して70歳を迎えます。まさかこんな歳までお店を続けていられるとは思ってもみませんでした。かみさんはえらい迷惑な現実と嘆いているかもしれないけれど、僕的にはいい人生だと思えている。
50年も前のことになるけれど、周りのだれもが受験勉強に集中していた時、校門が開くと同時に用務員さんと一緒に登校しデッサン室に閉じこもり、下校を迫る当番先生に追い出されるまで、赤点ぎりぎりの授業を受ける迷惑生徒だった。周りはみな確実な目標をもって、大学に入ることが最良の人生の為の登竜門と悟っていたに違いない。天邪鬼な僕はそれを受け入れられず、違う選択肢があることを確信もないままに信じ込み無謀にも突き進んだ。実力と情熱不足で芸大受験に失敗、振り返ってみれば情熱の欠如が最大の弱点。人から学ぶという謙虚さの欠如が第二の弱点だったと思われる。
でも今は負け惜しみでなく、幸せな顛末だったと納得している。優秀な隣人たちのだれもが古希を迎え、それぞれに終点を見つめる時期に入った。名声、名誉、富、賞賛・・・それぞれが求めたものを手中にしただろう。
小さなアトリエで老いた身体に鞭打ってあくせく働く僕を見て、人はどう感じるだろう。ささやかだけど胸ポケットには未だ夢を携え、マンネリそうに見えるだろうけど毎日探求する心を研ぎ、お客の期待に応えようと努力する幸せは、何物にも代えがたく頑張ってきてよかったと満足に値する。
挫折し、叩きのめされるたびに渡辺和子さんの励ましの詩が僕を勇気づけてくれた。今年は年初から張り切りすぎてかみさんも含め、スタッフが次々と体調不良に陥ってしまい、稼ぎ時の日曜日に臨時休業を余儀なくされた。32年で初めての不運だけれど、立ち止まって静かに過ごすことも大切と思えばいい休養と思い直せるようになった。
年初から長文になったが、もう一度和子さんの詩を味わいなおそうと思う
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大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと
神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せないものは、全て叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。
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